沿革・歴代幹部
昭和30年〜昭和39年
昭和30年代
年 | 月 | 出来事 | |
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昭和30年 (1955年) |
2月 | 開院5周年記念 | |
4月 | 初代インタ−ン生 来る | ||
昭和31年 (1956年) |
1月 | 外科より整形外科独立(診療科10科) | |
6月 | 外来患者の中央カルテ制を実施 | ||
10月 | 平屋建一般病棟新築工事完成(40床)病床数227床となる ※新館と呼称、後に南館と呼称変更) X線深部治療室診察開始 |
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昭和32年 (1957年) |
2月 | 円形伝染病棟竣工鉄筋3階建370坪、66床 | |
3月 | 伝染病棟診療開始 同日、八尾市太田地区内で赤痢集団発生(真生26名、保菌者152名) |
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5月 | 円形看護婦宿舎竣工(鉄筋コンクリート3階建72人) | ||
7月 | 院内給食(夕食事)で患者46名及び職員食中毒発生 | ||
8月 | 総合病院の許可を受ける | ||
12月 | 伝染病棟3階28床を一般病棟に転用開始 (その後集団赤痢等の都度、転用を中止) |
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昭和33年 (1958年) |
6月 | 市制10周年記念事業として、癌・高血圧・妊娠・育児・虫歯の無料相談を実施 | |
10月 | 健康保険点数表の甲表を適用 | ||
11月 | 基準看護「1類」、基準給食の実施 | ||
昭和34年 (1959年) |
4月 | 市立4診療所(西郡、大正、南高安、高安)市立病院に統合 (その後、34、36年に何れも民間移管或いは廃止) |
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昭和35年 (1960年) |
2月 | 開院10周年記念式 | |
11月 | 第3次拡張事業着手 旧北館(木造2階建)取壊し |
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昭和36年 (1961年) |
1月 | 中央検査科独立 | |
9月 | 第2室戸台風で被災 救急治療実施(外来44名、入院7名、死亡5名) |
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10月 | 全病棟に基準寝具実施 全外来を午前中診療に変更 |
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12月 | 新館(現北館)・玄関棟・レントゲン棟竣工(病床数309床)![]() |
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昭和37年 (1962年) |
4月 | 耳鼻咽喉科に「無響室」設置 | |
11月 | 栄養改善法施行10周年で優秀給食施設表彰を受ける・ 日本医師会医学講座・実習を実施 |
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昭和38年 (1963年) |
3月 | 職員勤務時間を月40時間制に変更 | |
7月 | 小児喘息虚弱児教室を開始![]() |
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11月 | 病院財政再建審議会を開催 | ||
昭和39年 (1964年) |
1月 | 皮膚泌尿器科より泌尿器科独立 | |
4月 | 昭和39年度会計から企業会計方式採用 (地方公営企業法財務一部適用) |
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5月 | 外来当直看護婦3名制(1名待機)開始 | ||
7月 | 大阪府医師会附属准看護婦学院の実習指定を受ける |